西の魔女が死んだ

不思議な物語である。主人公は入学早々不登校になった中学1年生の娘であり、彼女の視点で周囲の世界が描かれていくわけだが、周囲の大人たちのほとんどは彼女の不登校を責めるどころか理由を問いただすことすらしない。もっと言えば動揺すら全くしていないように見えるし、中一の娘が不登校になったらこんな風に接してこんなことをしてやってこんなことを言いなさい、という教科書的というかほとんど美しい理想型に近い対処の仕方を貫いているのである。かえって観客がおそらく嫌悪感を抱くであろう木村祐一のゲンジというキャラが世間一般には普通であって当然のリアクションをしているに過ぎないことに後で気付くくらいである。では主な登場人物にリアリティが感じられないかというと必ずしもそうではなく、こういうシチュエーションでの教科書として観ればさもありなんと納得してしまうストーリー運びなのである。
理想といえば、サチ・パーカー演じる西の魔女ことおばあちゃんが実に理想的というか完璧なおばあちゃんを演じている。恥ずかしながらサチ・パーカーがシャーリー・マクレーンの娘だということすら知らなくて、初めてこの映画のチラシを見た時はどこの外人女優を持ってきたんだ?くらいの感想だったわけだが、予告編を観るとちゃんとした自然な日本語を話しているのでどういうことかと混乱してしまった。そして本編を観て、一貫して美しい上品な日本語で通された台詞であることに驚きを禁じ得なかった。アラを探せば外人独特のイントネーションが僅かにあったが、音声だけ聞いていたらおそらく外国人とはわからない台詞回しだ。そしておばあちゃんの語る内容にも破綻や無理がなく、それこそ娘に「信念が揺るがない人」と言わしめるまさにそのままの人物像なのである。実に不思議だ。
原作が有名な児童文学ということでストーリー展開はそれに助けられているという感が強いが、残念なことに豊富なテーマをどこに絞って映画化するかではちょっと欲張りすぎた感があって成功しているとは言い難い。そもそも中一の娘が一ヶ月かそこらの学校生活でどうして学校を「苦痛を与える場所でしかない」と決めつけ不登校になったが、彼女の特異性と変に大人びた言動のゆえにあまり親身に理解ができない。後の方で不登校については彼女の口から詳しく語られ解決に導こうとするフシも見られるのだがすっきりした解決には至っていない。よって不登校の少女の心の軌跡を描くというテーマは失敗、それに彼女の家庭は結構複雑なようで、推測するに母親が仕事を持っているため夫は別の地で単身赴任状態らしく、それが最後に一つにまとまるという展開も何やら取って付けたようで失敗、そして少女と祖母の「魔女修行」を通した交流や心の葛藤についても今一つ掘り下げが足りないばかりか、最後にはいつの間にかおばあちゃんと孫娘ではなく、おばあちゃんとその娘りょうとの確執の問題に変わってしまっているためこれも失敗、とこう書くとあまりいいところがないようなのだが実際にはそんなに悪い気はしなくて、むしろ従来の日本映画らしからぬテイストや展開がある意味心地よいとさえ感じてしまう、とにかく不思議な映画だった。
これまで長崎俊一監督というと、プログラムピクチャー的なものをこなしている職人監督というだけのイメージしかなく作品も敬遠していたが、これからはちょっと侮れない気がしてきた。
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